ボーイスカウト船橋第1団

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船橋第1団の生い立ち

ボーイスカウト船橋第一団の歴史
<船橋第一団の創設者、故中村英次郎氏より伺った事>

戦後、駐留アメリカ軍により全ての団体は解散させられていたが、唯一世界各国と共通のボーイスカウト団が許されていた。

故・中村英次郎氏
故・中村英次郎氏

当時千葉県にもアメリカ軍政部があった。
そこの青少年課長である米国軍人ホイットマン女史を中村英次郎氏が訪ね、ボーイスカウトの発隊について申し出ると、許可が下りた。
ホイットマン女史による「モデルスカウト隊を創って欲しい。」と要望により、早速団組織、結隊を急ぎ昭和21年12月1日に、日本ボーイスカウト船橋中村隊が発足した。

 船橋中村隊の結成にあたっては、戦前の昭和7年に結成された、千葉県で唯一「少年団日本連盟」に加盟していた「船橋義勇少年団」(戦前のボーイスカウト)の存在が、ボーイスカウト船橋中村隊の発隊に大きな役割を果たした。

昭和22年8月1日、「中村隊」から、日本ボーイスカウト船橋第一隊を結成。
昭和33年4月1日、日本ボーイスカウト船橋第一団となる。

<諸先輩からの四方山話>

備品(テント、釜、等)は矢生春雄先生のご尽力を得て、戦前の義勇少年団で使用されていた物を船橋市より払い下げてもらう。
(やえき はるお氏は当時、船橋市職員で後にボーイスカウト千葉県連盟相談役になられる)

帽子はゲートルを縫い合せた物を中村淑子夫人(ガールスカウト千葉10団の創設者)に作って頂き、ネッカチーフには紫色の風呂敷を使用した。
後にその紫が一団のシンボルカラーとなる。
創設当時はシャツに風呂敷ネッカチーフを首に巻いていた。
何年か後、旧軍隊のカーキ色のシャツを改良した物が初代ユニホームとなる。

昭和25年9月にボーイスカウト船橋第一隊=音楽隊を組織し昭和27年に吹奏楽部になる。
ボーイスカウト音楽隊
特筆できるのは、高松宮様が植樹のセレモニーのために船橋市立船橋中学校にお見えになられたのを記念して音楽隊の第一回演奏会を開いた事。

昭和26年の山形蔵王の日本ボーイスカウト全国野営大会(ジャンボリー)にて、日本連盟の要請により急遽演奏した『君が代』と『光の路』がNHKラジオ(短波放送)の電波に乗って全国に放送される。

吹奏楽部は昭和29年に解散し、昭和30年にボーイスカウト船橋第一隊のOB数名により現在の船橋吹奏楽団を市民バンドとして結成し、現在に至る。
(ボーイスカウト船橋第一隊吹奏楽部は千葉県吹奏楽連盟の創設者、水戸 知章先生のご指導を受けていた)。

平成22年現在、60周年を超える歴史を持つ船橋第一団の歩みは、まだまだ書ききれませんが草創期の10年を記しておきます。

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